フォローの形を進化させるのはいいけど、一体どうやってやるのでしょう?(フォローはサポートやアシストに置き換えてもOK)
より小さく、見えにくい、さりげないフォローは難しいもの。必要最小限の過不足ないフォローができたら最高なのですが。
より大きく、あからさまな、わざとらしいフォローはありがた迷惑になりがち。過保護、過干渉などの過剰なフォローは避けたいもの。
トイレの例だと、フォローの形としては「粗相の後処理」か「適切なトイレのしつけをする」かの違いですが、
適切なトイレのしつけには段階があります。
①ハウスからトイレへ誘導
②部屋に放している時にトイレへ誘導
③犬自らトイレへ行くようになる
ざっくり言うとこんな感じですが、よくある失敗は、
フォローが足りないケース→いきなり③を犬に期待してしまう。
フォローが過剰なケース→失敗を防ぐだけの目的でハウスに入れっぱなし。
無理なくしっかりと段階踏んで進化していくことが大切です。
あと、「間違ったから・失敗したから」当たり前のように注意するというのはダメ。心の中で思うだけでもバレるのでダメです。
むしろ勇敢に挑戦した上での失敗ならばフォローすべきです!今のは仕方ない、気にするな、ドンマイと心の中で思えばよし。
何故間違ったのか?どのような性質の失敗か?を考えることが大切なんです。
それによってフォローの形をまた変化させる。そして犬の方もトライ&エラーを繰り返して成長していく。
そしてまたフィードバックして・・・この繰り返し。
叱り飛ばすだけでは犬はついてきません。悪いと分かっている犬に対しては、叱る必要ないのですね。ただリトライするだけでOK!
そういう絶妙なフォローをされると、あぁこの人はよく分かってくれている!と犬も感動し、感謝します。
最後に、フォローの反対は邪魔することです。
助けるどころか足を引っ張ってしまってることもあります・・・グイグイと。
しつけとは真逆の考え方ですが、トイレの例で言うと、
①ハウスに入れっぱなしや鎖で繋ぎっぱなしでトイレへ行けなくする
②部屋に放してトイレ場所を特定しづらくさせる
③犬自らトイレへ行こうとしたらひき止める(同居犬など)
これはウソみたいですが実際にはけっこう普通に起こっていることばかりです。
誰も邪魔しよう等とは思ってはいないでしょうが、遊ぶつもりやフォローのつもりが結果的に邪魔になってしまうこともあるのですね。
そして教育熱心になればなる程、教えることばかりに目がいき、フォローが疎かになりがちです。
何もしない、何も求めない、素直になること。
ただ話しをするとか、そばにいる、そういうのだけでも意外とフォローになったり、癒しになったりするものですよ♪
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いきなりですが、犬って癒されますよね~♪
人間のように口答えしませんし・・・
何も求めず、ただじっとそばにいてくれる。
あ、もちろん逆に元気に騒いでるような時もそれはそれで癒されますね!
さて、そんな癒しの存在である犬ですが、
犬にとって私たちは癒しになっているでしょうか?
もし、あなたの愛犬が何か困っているならば手を差し伸べて助けてあげたいですよね?そしてできれば癒してやりたい。
癒せるかどうかまでは分かりませんが、今回はそういう「犬へのフォロー」のお話です。
フォローとは、補い助けるという意味ですが、犬の何を補い、どんなことを助けるのか?
例えば、
愛犬がなかなかトイレを覚えないとします。毎日部屋のいたるところで粗相してしまうのです。
これ実は困るのは飼い主さんだけであって、犬はちっとも困ったりしていません。
出る物ところ構わずの精神で、景気よく出してむしろ快感・・・!?
ちょっと汚い話でしたが、犬には本来、トイレのしつけなんて必要ないということです。
しかーし!それは飼い主さんとしては絶対に困ること!だからしつけを受けてね、ということです。
ぶっちゃけ人間の都合です。しつけとは。(人間と暮らすから必要なもの)
病気の治療だって、美容室でシャンプーするのだって、全部そう。
犬自身が治療したくて病院行ってるわけではないし、野生動物ならシャンプーなど一生に一回もしません。
全て飼い主さんの意向で決定されるのですね。
誤解しないでほしいのですがそれが悪いというのではなく、
「しつけ」「治療」「シャンプー」などをすることが、必ずしもそのまま犬へのフォローになるわけではないということです。
最も深刻なのは、病気の治療ですね。特に命に関わるような。
飼い主さんが考えること、望むことは、病気からの快復のみでしょう。
快復の見込みがあるのならそこに賭けたいのですが、治療も楽なものばかりではありませんから色々と悩むのですね。
ましてや快復の見込みがうすい場合、治療ではなく、痛みの緩和などを目的とした「ケア」へ考え方はシフトするかもしれません。
端的に言うと、この場合「治療」か「ケア」か、フォローの形は変わるのです。
シャンプーの場合はどうでしょうか?
嫌がる犬を無理やり週一回ペースで洗う。ひどいケースだと毎日洗う。これはやはり犬にとってはストレスでしょう。
何故嫌がるのかを突き止めて慣れさせる練習をするとか、せめて月一、二回ペースにするとか、犬への配慮がほしいものです。
フォローの形としては「シャンプーをする」か「シャンプーのやり方を変える」かの違いです。
最後にしつけはどうでしょう?
前述のトイレのしつけですが、毎日のように粗相されると飼い主さんもやはり困ります。
困ってるというのは犬も分かるものです。あなたが不機嫌なのはすぐ分かる・・・!
明るく掃除をして下さいとは言いません!ただ、トイレ場所を指定してあげたら両方丸くおさまるのでは?と思うのです。
初めのうちはトイレ場所を指定するためにサークルを使うとか、2時間置きにトイレ連れていくとか、手間がかかるものです。
ポイントは「うちの子はどの程度のフォロー(助け)が必要なのか」を考えることですね。
フォローが足りないと結果的にフォローに追われるようになります。尻拭い的な。
言わば、フォローも進化させるべきものなのですね。
今日はここまで。続きはまた明日です!
「しつけの主導権」とはおかしな言葉です。
本来、しつけというのは親が子に対して行うものなので主導権も何も考える隙間もないほど決定してるはずですから。
しかし、犬の場合は話が別です!
なぜか立場があべこべになったりするのですね。
つまり、しつけられるべきはずの犬の方が主導権をとり、しつける側の飼い主さんが犬に従っているという構図です。
原因はまあ色々なんでしょうが、犬はただ可愛いだけの生き物ではないのは確かかと。
オオカミの時代から受け継がれている爪と牙は今も健在!
場合によっては一触即発の事態にもなりかねません。
事が起きてからでは遅いので、トラブルに先んじて愛犬のしつけはしっかりとしておきましょう、というのが私の主張。
さて、主導権の話しですが、
例えば、
サッカーだと相手チームとボールをとりあいますね。
ボールを持っている方が主導権をとっています。
シュートを打つことも可能になるわけですが、まだゴールを決めたわけではありません。
でもまずはボールをとることが先決です。「ボール」=「主導権」をとらないとゴールを目指せないのですから。
もしかして、ず~っと相手(犬)ボールになってませんか??
あと、ボール支配率(ボールを持ってる時間の割合)が高ければ勝てる確率も高くなるのが理屈ですが、
現実はそうなるとも限らないのが面白いところ。ボールを一瞬で奪われて一気にカウンターでゴール決められて負けたりします。
主導権はその時々で移り変わるものなんですね。
さて、犬のしつけの場合だと目に見えるボールのようなものはありませんが、どうすれば主導権をとったと言えるのでしょうか?
答えは簡単!
あなたの前に犬が出ていたら主導権とられてます。
あなたを見ようとしないなら主導権とられてます。
これは「歩行」で改善できます。歩くことで主導権を取り返しましょう。
歩く「位置」はどこがいいのか、「誰」と歩いているのかを教えてあげるのですね。
犬がまるで一人で歩いてるような感じで好きなようにを臭いかいだりマーキングしたりしながら歩いている。飼い主さんはそれについていく。
これをサッカーで例えると、相手がドリブルしてくるのを止めるどころか後ろからついていって、ゴール決められるのを見守っているようなものです。
これではほとんどオウンゴールのようなもの・・・ゲームになりませんね!
しかし、犬のしつけはゲームではないし、勝つためにやるわけではない!と反論があったとします。
要するに、何のためにしつけをするのか?という疑問です。
これはやっぱり勝つためなんですよ。犬にではなく、自分にです。
幸せも夢も犬のしつけも自分で掴みとるものではないでしょうか。(しつけは犬と力を合わせてね)
負け試合というのがありますが、負けると分かっていても初めから諦めてるのと、挑戦するのとではその後に大きな差が出ます。
戦略的な捨て試合とかは全く別の話しで、基本的には勝ちに行く姿勢が大切なんだと思います。
犬のしつけも負け試合のような気持ちだと主導権はとれません。
主導権をとる!という気を持ちながら、勝つための戦略(しつけ)を学べば必ず良い結果が出るはずです。
さあみんなで勝ちにいきましょう~♪
「問題犬になる」
この言い方は、もともとは問題なかったけど今は問題がある、というニュアンスを含んでます。
ということは、氏より育ちというように「育て方」がポイントということ。
しかし、質の悪い繁殖により遺伝的に問題を持ってる犬も確かにいます。
その場合は、「問題犬になるべくしてなった」とも言えます。
では環境の影響はどうでしょうか?
もちろん良い環境の方がいいですが、悪い環境でもきちんと育つ子は育ちます。これも絶対条件ではないですね。
さて、では何が一番悪いのでしょうか?・・・簡単には答えなど出ませんね。
では逆に考えて、一番良いのは何でしょう?
そんなの生まれも育ちも環境も良いのが一番ですね!
何が一番というわけではないのですが、
生まれてしまえば「生まれ」をどうこうすることはできないし、
「育て」を終えてしまえば手遅れになるだろうし、
「環境」は人の意思で容易には変えられないですし。
要するに、ジャンケンみたいなもので絶対的な強者はいないということ。全て等しく大切。
例えば、
ブリーダーは良い犬を生み出してトレーナーへ繋げます。
トレーナーは良い犬に育てて飼い主さんへ繋げます。
飼い主さんは良い環境を作って犬を迎えます。
どれが欠けてもダメなのですが、
ブリーダーが「生まれ」の部分をいくら注意しても問題犬は出ます。
トレーナーが「育て」の部分をいくら努力しても問題犬は出ます。
飼い主さんが「環境」の部分をいくら工夫しても問題犬は出ます。
じゃあ頑張る意味がないのかと言うとそうではなく、
それぞれがしっかりと役目を果たすことが問題犬の減少に繋がるのだと信じています。
でも周りがどれだけ頑張ってもダメな時はダメ。
それは肝心の「犬自身・本人」が役目を果たしているかどうかが最後のポイントだからです。
できないことをできるようにするのではなく、大事なのはできる範囲でやろうとしてるかどうか。
この「できる範囲」の見極めが難しいですね。
能力やレベルに応じて、本当にできないのか、やってないだけなのか判断しましょう。
最後に、問題犬になりたくてなった犬はいません。
私達も一日過ごせばほこりがついたりして汚れます。しかし、その日のうちにお風呂に入って汚れを落としますね。
これと同じで問題犬にならないように日々、強くあろう、美しくあろうとする心掛けが大切なのだと思います。
ということで、問題犬にどのようにしてなっていくか?
結論、自然と勝手になっていくです。なるようにしかならない。どこかで誰かが止めようとしないと!
もし皆さんの身の回りに問題犬がいるようなら、皆さんの愛犬で良い見本をみせてあげれば効果抜群かもしれませんね♪
そうですね、ふざけますね!
おふざけが過ぎるくらい・・・?
真面目になんてやってられない!と言わんばかりにおどけたり、たま~に?騒ぎ立てたりもします。
適度な遊び心とノリの良さがあるのが理想ですが、
悪ふざけや悪ノリまでいくと困ったことに・・・!
それらを許すと飼い主さんを下に見て、調子に乗り、何でもかんでも「おふざけ」で済ませようとしてしまいます。
力が強いとか、頭が良いとか、なまじ優れている方が増長しやすいものですね。
時にふざけるのは犬も人も一緒ですが、
冗談と本気の違いを見分けるのは犬の場合けっこう簡単です。(人の場合は社交辞令とか色々ややこしい)
犬の場合、物がからむとすぐ本気になります。(不安な人はテストしてみて)
例えば、ご飯を与える時に早く食べたくて甘噛みするくらいならまだふざけてる段階ですが、
エサ皿をとろうとしたら唸る、あるいは噛む、これはもうアウトです。
そんな 悪ふざけをした後も犬は申し訳なさそうな顔をしたり、ペロッと手をなめて「ごめんね」とやります。
これで済ませてね、ということですね。でもまたやるよ、と。
さらに悪ノリをして、お気に入りのオモチャ(おやつ)やクッション等をとろうとしても同様に唸るかもしれませんね~。
悪化すればどんどん攻撃的な犬になり、ちょっと気に入らないだけで噛みつくようになります。
飼い主さんも指をくわえて見てるだけでなく、何度も叱っているはずですが、繰り返し問題は起こるもの。
悪ふざけしている犬に対して、ふざけるな!と言っても一時的な効果しかありません。
ではどうするか?
悪ふざけしている犬に対しては、ふざけろ!と言うことです。(心の中で強く!)
つまり、ふざけられるものならふざけてみろ!という気持ちが重要なのです。
お願いだからふざけないでね、というニュアンスがわずかでもあったらダメなのですね。
できることならば、本当に可愛いおふざけレベルの時に、やんわりと正しい振舞いを教えてあげられれば一番いいのですが。
少なくとも、あなたが愛犬に本気で何か教えようとしている時には、ふざけた態度をとらせないことですね。
どんな犬に対しても基本トレーニングは有効なので、地道に練習していけば問題は軽減していくでしょう。
ただ、犬のふざけたい気持ちというのも少しは残しておいてやらないと味気なくなるので・・・飼い主さんも時には片目をつぶってやりましょう♪
全力でやるのも大事だけど、脱力も大事ということ!
愛犬の存在は飼い主さんにとっては間違いなく、「特別な存在」「かけがえのない存在」ですね。
しかし、他の人にとってはただのイヌ、これもまた事実です。
その人の立場によって犬の「存在価値」も様々なのですね。
ではここでちょっと法律上の犬という存在について見ていきましょう。
①飼い犬が誰かを咬んでしまったら犬に責任能力はないので、その飼い主に責任が生じます。
→飼い主の所有物である犬という「物」扱い。残念ながらこれが現状です。
②野良猫を誰かが故意に傷つけたとしたらその人に責任が生じます。
→野良猫などをみだりに傷つけるのは罪であるという「命」扱い。動物愛護法などが施行されてます。
なるほど、単純に犬・猫は「物」か「命」か、などと決められないわけです。
犬に人権のようなものを認めると、それと同時に責任が生じ、犬が人を咬んだりしたら犬自身がある程度は責任を問われることになりますし、
完全に物扱いだと、多くの飼い主(人間)感情に反することになりますし、
いずれにしろうまくいきません。
だから法律上、犬はケースバイケースで「物」もしくは「命」として扱われているわけです。
ちょっと内容が重すぎるのでこれくらいでやめておきますが、
犬の存在とは何か?をみんながもう一度考えることが大切だと思います。
あと私の意見ですが、
生きてるから命ではなく、そこに確かにいる存在感こそが命ということ。
悲しいですが・・・愛犬がたとえいなくなったとしても胸の中では絶対に消える事はないですから。
つまり存在し続ける。
それが犬という存在だと私は思います。
ただ、犬嫌いの方もいらっしゃいます。そこは愛犬家も理解と協力をすべきですし、是非そうしたいと思います。
人類全体で犬への価値観を共有するのは不可能なので、相手の立場に立ち、お互いに共感しあえるようになることを目指しましょう♪
しつけをしていると犬と繋がる感覚があります。
それはアイコンタクトだったり、動きのキレだったり。
ばっちり息が合って同調した時は最高ですね♪(打ち合わせしたわけではないのに!)
リードではなく、心で繋がっている感じです。
まるで長年連れ添った夫婦のように以心伝心できるといいですね。
でも犬はエスパーではないですから、
あなたの真意までは分かりません。ちゃんと言わないと。(行動で示す)
言わずもがな分かるでしょ?では通用しないのです。
また、絆とはほだすとも読みます。
ほだされるとは、自由を束縛されるという意味です。
情にほだされてお金を貸す、というのは貸したくないけどつい貸してしまった・・・ということですね。
では、犬にほだされることはないでしょうか?
これけっこうあると思います。正直言って!
本当はうるさいなと思っているけど、吠えるのを許してしまうとか。
本当はもう少し落ち着いてほしいと思っているけど、仕方ないかとあきらめてるとか。
こう考えると犬にほだされてることが多いですね。
絆の本来の意味は、動物をつなぎとめる綱のこと。
それが転じて現在の感情の結びつきのような意味になったのですが、
まず大事なのは、現実問題、本心で、犬に対してあなたが困っているかどうかということです。(犬の気持ちは脇においといて)
もし困ってるなら絆の本来の意味を思い出すことです。
絆とは自由を束縛するものだったのです。
それがやがて本当の絆につながります。と言うかつなげます!!
「本来の絆」から「本当の絆」へ進化させるにはまず現実を認めて、その上で先を目指すことです。
金の切れ目が縁の切れ目ではないですが、もしリードや首輪が切れたらどっかに飛んでってしまうようでは・・・まずいですよね?
愛犬との絆は他の誰かが物理的にどうこうできない、ゆるぎない、絶対に動かしがたいものにすべきですね♪